自分のこととして受け止められる感性


弁護士 花田 勝彦

8月6日、広島に原子爆弾が投下されて78年が経ったこの日、朝8時15分から平和記念式典のテレビ中継を見ていた。

毎年意識するともなく見ていることが多かったが、今年は5月に広島でサミットが開かれ、広島出身の首相が主催したにも関わらず、核の抑止力を正当化したことで関係者を落胆させた「広島ビジョン」の直後であり、いつもよりも注意してテレビを見ていた。

ロシアのウクライナ侵攻で俄然きな臭くなった世界状況と軍拡志向は、我が国も例外とは言えない。敵基地攻撃能力の保有を認めることや、防衛費の大幅な増額、武器輸出の緩和など、平和と逆行するようなニュースが並ぶ。

そのような中、核兵器廃絶を訴える若い世代の存在がテレビで流れていた。その中心となるのは高橋悠太氏(22)。「核廃絶ネゴシエーター」と名乗る広島県出身で、この春に慶應大学を卒業したばかりの若者である。中学生の頃から、核廃絶に向けた署名活動や被爆証言の聴き取り等に携わってきたという。

核兵器禁止条約を日本に批准させるため、まずは条約への日本政府のオブザーバー参加を求めていくのだそうだ。

広島で被爆したサーロー節子氏(91)が岸田首相のあいさつが物足りないと言っていたが、これまで長きにわたって核兵器廃絶を訴えてきたことを、次の世代に繋いでいることの大切さを感じた。

長らく言い続けてきたこととして最近報じられているのが、あの芸能事務所の性被害に関する問題である。もはや公然の秘密とされてきた少年たちの性被害について、故人となって4年後に、国連の人権理事会作業部会の専門家が会見を開いて、数百人のタレントが性的搾取と虐待に巻き込まれた疑惑と述べた。そして、日本のメディアも数十年に渡ってこの不祥事のもみ消しに加担したと強烈に批判した。

これも様々な形で色々な人が被害を訴え、発信し続けてきたことが、加害者が鬼籍に入った今となって、ようやく日の目を見て、大きな社会問題として取り上げられるようになったことの一つである。

世間は熱しやすく、冷めやすい。報道に接しても、自分に関係のないと看做してしまうと、せいぜい記事を流し読みするだけですぐに忘れてしまう。自分のこととして考える人などほんの一握りに過ぎないのが実情である。発信し、活動し続けていく中で、幸いにも多くの人の関心を惹きつけるタイミングがやってくることがあっても、それは長くは続かない。

数年前に流行った「# Me too」運動もそうであったように、弱い立場の者が受けている被害を是正するためには、一人の声が次々と同じような被害を受けた人達と繋がり、大きな社会的なうねりとなったときにチャンスが訪れる。あのときはSNSでの拡散が、社会に貢献した好例として受け止められた。今回の芸能事務所における性被害も、所属する大事務所相手の徒手空拳となる恐れもあった。しかし、時代は動いた。

いかに真実でも、これを実現するためには多大な労力を要し、長く言い続けていかないと多くの人に届かない。同じことを言い続けるというのは本当に大変なことである。時には(あるいは度々)無力感に苛まれながら、それでも信念を持って言い続けていくことの大切さが身につまされる。

北朝鮮の拉致問題についても、多くの人はそのような問題があることを認識しつつも、解決にはほど遠い現状である。

私たちは、このような問題の当事者でないことが多いが、そのようなときは当事者に寄り添い、思いを致すべきであろう。逆にそのような問題の当事者となってしまった場合は、多くの無関係の人達に問題を知らしめ、いかに当事者意識を持ってもらえるかに腐心しなければ、問題解決に近づけないこともある。

社会におこる問題の本質を学び、自分のこととして受け止められる感性を持ち続けたいものである。